Linda Rising "Who Do You Trust?"

セッションの冒頭、Linda Risingはとてもゆったりとしたきれいな、わかりやすい英語で話し始めた。

「このセッションではとても嫌な、聞いててつらくなるような話をします。ですから、途中で嫌になったり、気分が悪くなったりしたら、退出されてもかまいません。無理はしないでくださいね。」
「ですが、セッションの途中から、事態は好転します。最後まで聞いてもらえれば、ハッピーエンドが待っていることを約束します。」

半分ジョークのようだが、とても聴衆のことを気にかけていることがわかった。(一方で、セッションの中身は本当につらいところがあった。それをセッションの題材に取り上げて、冷静に、必要なことをちゃんと伝えるところも、Lindaの素晴らしいところだ。)

内容は、心理学や認知科学の見地から、人間の「偏見」というものがいかに深く、強力な作用を及ぼし、そして避けがたいものであることを昔の実験を中心に解説したものだ(実験が昔なのは、現代社会で実施したら非難されるような内容だからだと思う)。そして後半は、人間が偏見の影響を最小限に抑えたり、克服したりできることを述べた。

もっとも大きく取り上げられた実験(1954年に行われ、The Robbers Cave Experimentとして知られている)は次のようなものである。12歳の少年のグループ2つを、ボーイスカウトのキャンプ場に連れて行く。ただし、各グループはお互いの存在を知らされず、キャンプ場にはそれぞれ自分たちしかいないと思っている(もちろん別々のバスで行くわけだ)。

最初の1週間は、グループはそれぞれ自由に活動する。池で泳いだり、隠れ家を作ったり、バーベキューをしたり、テントを立てたり。付き添いの大人(正体は実験を実施する研究者なのだが)が、お互いのグループが接触しないように誘導している。グループの仲間はあっというまに仲良くなり、グループはそれぞれ自分たちの名前をつけて(イーグルとラトラーズ)、決まりを作ったり、旗を作ったりした。

1週間たったころ、イーグルとラトラーズがお互いの存在に気がつくよう、研究者が調整する。足跡を見つけたり、どこかから声が聞こえたり。この時点ではまたお互いの姿は見ていないにも関わらず、グループはそれぞれ相手のグループが、自分たちの「なわばり」に進入してきた「敵」だと言い始める。最初にグループ内ががたちまち仲良くなったのと、相手のグループをすぐさま敵視しはじめたことの対称性に、研究者も驚いた。

それから両グループは引き合わされる。「大人たち」の指導で、野球や綱引きといった競争的な遊びをして、さらに大人の審判でいろいろなゲームの総合得点を記録した。1日の総合得点で、勝ったチームには賞品が出た。すると、負けたチームが勝ったチームの旗を燃やしたり、キャンプを夜襲したりという、全面戦争に突入する寸前まで発展した。

Lindaはここで実験の話を離れて、人間の偏見の話に移る。人間には本能的に、目の前のものが安全か危険か、食べられるかどうか、敵か味方か、とっさに判断する能力が備わっている。本能的、というのは、生存競争と進化の過程で人間が獲得した能力であるためだ。原始時代の人間は、目の前に現れたのが仲間か、それとも敵の部族か見分けるのが遅かったら、生死に関わるのだ。しかしこの能力のせいで、人の姿を見たとたんにカテゴリー分けしてしまうことになる。

人は人をカテゴリー化する。敵か味方か、身内か他人か、仲間かよそ者か。判断は非常に短い時間のうちに起きるし、カテゴリー化はステレオタイプ化、単純化につながり、人に対する見方を「決めつけて」しまうことになる。偏見には2つの特徴がある。

  1. 誰にでも偏見はある
  2. 自分ではそのことに気づいていない

つまり、誰でも自分は偏見などしないと、誤って信じ込んでいるわけだ。その結果、合理的な判断をしているつもりでいながら、自分や仲間の行動は常に正当化され、他人やよそ者は常に「悪い」という決めつけをしてしまうことにもなる。

さて、実験の続きはどうなるのだろうか?研究者は2つのグループの衝突を止めさせようとする。単に2つのグループを一緒に行動させるだけでは目立った成果がなかった。そこで、キャンプ場の水道が出なくなり、全長1km以上あるパイプのどこが壊れたのか、全員で調べなくてはならない、という「事件」を演出した。問題が解決すると、両グループは手を取り合って喜んだ。キャンプ全体に関わる「事件」を共同して解決することで、対立が解消したのだ。

人間は協力することができる。共通の問題があったとき、協力して立ち向かうことができるのである。猿を使ったある実験では、2匹の猿が協力するとエサが手に入るような仕掛けをした。はじめは2匹ともエサが手に入るのだが、2匹が協力しても1匹しかエサがもらえないように仕組みを変える。だがそれでも、エサがもらえないとわかっている猿も、相手に協力した。すると相手は、協力した猿にエサを分け与えるような動きを見せたのである。

人間は協力することができる。これもまた、本能レベルで組み込まれている人間の能力なのだと、Lindaは語った。協力するためには、相手を好きである必要もない。相手の努力を認め、自分の努力を相手が認めることが必要なだけだ。そこから、相手の能力と貢献を互いに尊重しあうという関係が生まれる。そして尊重され、信頼されることを嬉しく感じる。人間にはそんな本能が備わっているのだ。

そうした人間の本能を活かし、人間の能力を発揮させる点で、ふりかえりやフィードバックといったアジャイルのプラクティスは優れているとLindaは指摘している。全体に、アジャイルとの直接の関係を説くセッションではなかったが、人間の行動原理に関するとても興味深い話だった。